Go Vegan! 写真は本文とは無関係です。インターネット上で見つけた可愛い写真を借りて見ました。
今日は情けない内容なので、写真でちょっと景気良く盛り上げて始めて見ましょう。
この冬は、なんだか落し物が続いてます。
普段は私、物をなくしたり落としたり壊したり滅多にしないんですよ。
いや、壊すっていうか、傷をつけちゃうことはあるかな、でも、破壊することは稀です。
要するに物持ちがいいのです。
周囲はとっくに買い換えてるようなものをいつまでもいつまでも使い続けるので、作った人冥利につきるだろう、、あ、どうせ大量生産だからそんな人は存在しないか、てなもんです。
子供の頃から、あんまりモノを買ってもらえない境遇だった(親の方針だった)ので、あるものでなんとかせにゃ、っていうのが身についてるのか、そう簡単にあるものを失わないというか、、、。
それなのに、ああそれなのに。
まあ、でもなくしたと気がついた瞬間は「バカバカバカ!」と一瞬自分に怒りを覚えますが、「誰か拾って使ってくれるだろう」という気持ちに切り替えるのにはそんなに時間がかかりません。
高級品など所有してないせいでしょうね。笑
この冬の最初の無くし物は、イヤーマフス。耳当て、、、って言います?
耳だけ暖かくする、ヘッドフォンみたいな形式で、耳にあたる部分がモコモコっとしてるやつです。
そんな子どもちゃんみたいなものを使ってたのか!という気もしますが、5年くらい前に(いや、もっと前かも)5ドルで買ったのです。
値段だけ覚えてるのがおばちゃんくさいですが。
これがね、便利だったんですよ。
毛糸の帽子をかぶってスキーすると、汗で首の後ろあたりが濡れてしまうんですけれど、耳あてだけなら、汗かかないんです。
どんなに運動してホカホカしても、耳、鼻、指先は冷気に当たるので冷えますからね。
耳あて付きの帽子でも、私のアジア人頭だと、こちらの西洋人向けの帽子がちょっときつめなので、耳たぶのあたりが浮いてくるんです。
そこが冷えるところだというのに!
という次第で、耳たぶがしっかり覆われてないと痛くなるような寒い時にスキーに行く時には、逆に毛糸の帽子よりもそのイヤーマフスが便利でした。
なのに帰宅途中のメトロの車内で、頭から外してそこらへんにぽいっと置いてたのを、駅に到着して立ち上がる時にうっかり忘れていたんですね。
普段ならまず、そこらへんにぽい、とは置かないし、(バックパックのハンドル部分に引っ掛けるなどして忘れ防止策を講じてるはず)席を立つ時には周りを見回して、何も落としてないよね、と確認するのもいつもの習慣ですが、その日はなぜかそれもしなかったんです。
まあそういう時もありますよね。
さようなら、イヤーマフス、、、、
そして、先日、全然凍りついてない歩道を、普通にブーツで歩いてメトロに乗って、知り合いとの待ち合わせに向かったんですが、仕事に行く時に使っているバックパックを持って行ったんですが(用途別にバッグを使い分けるなどという洒落たことはしないんで)その脇のメッシュのポケットに、ツルツルに凍った路面を歩く時用のスパイクがついてるクランプオン(と呼んでいます、日本語に何かいい言葉があるのかわからないので、写真を載せましょう)を入れているのですが、お休みでバックパックの中身がスカスカだったせいで、バッグ全体がくしゃっとした状態で膝に置いていた時に、多分メッシュポケットもふわっとなってて、クランプオンの片方だけが落下したようで、、、片足無くしました。
がーん、ガーン、ガーーーン、、、(片方だけ落としたので、拾った人もきっと使えないゴミだな、と捨ててしまうでしょう。あああ、、)
歩道がツルツルの時にこれがないと本当に歩きにくいし、転ぶ可能性増大しますし、今や自分の生活必需品なので、ないと困ります。
イヤーマフは、あほやな自分、と自分を罵りつつまあないならないで、ちょっと耳たぶが寒いことがあってもやり過ごしてますが、クリップオンは生死、いや、無用な骨折や捻挫をするかしないかの分かれ道、、。
というわけで、クランプオン、また一足買いに出かけなきゃいけなくなりましたよ。
買物嫌いだから、ものすごく億劫です。
ああ、バカな自分。
次のペアを買う前にフリージングレインとか、気温上昇してから急降下して路面凍結とか、そういう状況になりませんように。(買い物に行けるのは週末、、週末=混雑、、ヤダヤダヤダ、、と、想像するだけで憂鬱になります。)
ちなみに今年はケベック州のみならず、カナダの冬は寒いらしいですが、寒いと言いつつ急激に温度上昇で雪が溶け、その翌日にまた冷え込んで、路面凍結、というのはここ数年のウィンター・ブルーズですので、そういう時に外出を避けられない向きには、このクランプオンは大変便利です。
私にとって、モノの価値って、実用性と、作ってくれた人がそれを作るのにかけた時間とかワザ、、、、そういう部分です。
例えば、これ一つ作るのに1時間かかってるかな、っていうものには、誰かの1時間の労働時間の価値や、そういうのを作って売れるようになるまでの技術養成に必要な時間などが注ぎ込まれてるなあと感じるもの、、、もしくは、そうでないもの、、。
発展途上国の労働者や半ば奴隷並みの扱いの人たちがコンベヤ・ベルトの前で単純作業して安く安く製造された物が安く安く出回ってる昨今では、モノって、本当に安いですけれども、必要なものを買いに行くとそういう商品がそこにある、そういう世の中で、買い物っていう行為は嫌気がさすんですよね。
こんな安価で末端消費者が買えるって、どういうこっちゃ、って思うと申し訳ないんだけど、だからって売ってる店にチップを置いたって、こき使われてる労働者には一銭も届かないじゃないですか。
だから、中古品などの方が、罪悪感は少なくて済むんですけれど、中古品の買い物はまたそれはそれで時間かかるし、探してるものが置いてない場合もあるし、効率が悪い。
効率が悪くとも、じっくり時間をかけて買い物できるならいいけれど、自分が使える自由時間には限りがあって、その時間を買い物なんかに費やしたくない、、、。
いっそのこと自分で手作りできちゃったらいいですねえ、、