食いしん坊、北米でヴィーガンになる

北米で植物性食品を食べて強く生きる記録

人参サラダとレナード・コーエン

久しぶりに色とりどりの人参が安くなっていたので、10パウンド(4キロ半ほど)買い込んできましたよ。

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ぬか床に入れたら結構長持ちするし。

人参はなぜか、つけっぱなしにしておいても古漬けっぽくなりにくいのです。

身がしまってるせいでしょうね。

 

今日は人参サラダにしました。

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フードプロセッサーでシュレッドして塩であえてシナっとさせます。

 

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その間にコリアンダーシードをフライパンで乾煎りさせ、ゴリゴリとすります。

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コリアンダー、好みのドレッシング、しなっとなった人参を合わせて出来上がり。

 

ドレッシングは人参の甘みを考慮して、ちょっと酸っぱさが勝つように好みのオイルとお酢を混ぜるだけです。

ジャムの空き瓶に油と酢を入れて蓋をしてシャカシャカ、それで完成。

好みのハーブやらマスタードやらを入れてやれば簡単に美味しい。

 

Leonard Cohen展を見てきました

Leonard Cohen, レナード・コーエン氏といえば、モントリオール住民のみならず、カナダ人にとって偉大な我らの詩人です。

モントリオールに住んでいる人たちにとっては、なおさら「うちの近所に住んでたレナード」という感じで、地元のヒーロー的要素がとても強いのです。

まだご存命の頃は、「レナードが今モントリオールに戻ってきてるらしくて、どこそこのバーにいたらしい」とか、そういう話がささやかれたり。

でも、レストランやバーで見かけても、ギャーギャー騒がず、彼のプライバシーを尊重しなきゃね、、でも、やっぱりこっそり見つめちゃうよね、みたいな。笑

 

そんなわけで、2016年に亡くなった時には大変悲しかったですけれど。

 

今回、近代美術館での展示を見に行きましたら、亡くなった翌日のニューヨークタイムズの一面が展示してありまして、ちょうどアメリカの第45代目が当選した日の前日になくなっていたんですね。

45代目と44代目のオバマ大統領がホワイトハウスで初面会した時の写真がデカデカと上段に、レナード・コーエン訃報が小さめにそのすぐ下に載っていました。

そうか、レナード・コーエンはアメリカが45代目の恥さらしに振り回されるのを見ずに亡くなったのかあ、、なんて。

 

まあそんなのは展示のすべてのうちのほんの小さな隅っこのものでしたが。

 

近代美術館には5年ぶり、、、いや、10年ぶり?くらいに行ってきたんですが、入場料が10ドル超えてる!えええ?あそこ、元は無料だったんじゃ???

と滅多に街に出ない私は再びそんなことで浦島太郎ぶりを再確認しましたが。

入場料は大人19ドル。ひどい。

 

内容は、レナード・コーエンが好きな人なら楽しめるでしょう。

知らない方は19ドル無駄にせず、別のものを見にいらっしゃいませ。

 

でも、ずいぶん昔ですが、マイルス・デイヴィス展を見た時のあの素晴らしさに比べると、ちょっとあれには劣るなあ、という気持ちは否めませんでしたよ。

 

アーティストの人となりやライフ・イヴェントとその時の音楽が繋がって、より深く理解できたマイルス・デイヴィス展に比べると、レナード・コーエン展は「ああ、そうそう、あの人そういうことよく言ってたねえ」「そうそう、ファンはそういうもんだよねえ」という、内輪受け的要素が結構強くて、それに、有名人が亡くなるとよくある、ファンだった同業者が歌って捧げる、みたいなコーナーが必要以上にありすぎたような気もしましたね。

私はレナード・コーエンの歌うハレルヤなら何度でも聞きたいけれど、他の人が歌ってるのをあえて19ドル出して聞きたいとは思わないわ、と。

 

19ドルにこだわってるようですみませんけれど。

 

というよりも、入場して全て見終わったら3時間半かかってたんですよね。

 

その中には、ヘッドフォンをつけて見ないと何なんだかわからないインスタレーションの部屋で、何人もヘッドフォン待ちしてるからそこは飛ばしちゃった、とか、そういう部屋もありましたし、入り口入ってすぐのところに、一人ずつ体験する5分間のインスタレーション(多分ビデオとオーディオ)の小部屋があり、すでに10人以上待っているので、やれやれ、そこに1時間座って待たなきゃダメ?それはありえない、と飛ばしたりもした、それで3時間半です。

 

仮にヘッドフォンの順番待ちを2人か3人くらいして、個人のインスタレーションも2人くらい待ったら見られたとしたら、もうちょっと待ち時間と鑑賞してる時間も加わりますから、下手したら4時間でも足らないかも。

 

それだけ中身が濃いという見方もできますが、その展示内容の2割くらいは、私にとってはおまけみたいな感じ(ファイストが歌うレナード・コーエンの歌を聴きながら壁に投影された青や赤の光のグラデーションの長方形を見つめてる、、、とか)でした。

 

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面白かったのは、オルガンのキーボードにレナードの語録がインプットされていて、キーボードを弾くように抑えると、あちこちのスピーカーからレナードの言葉が流れてくる小部屋。真っ暗でしたが、撮った写真の感度を上げて見たのでなんとか様子が見えるでしょうか。

 

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こちらも、一般人がレナード・コーエンの歌を思い切りなりきってそれぞれに思いを込めて熱唱している様子を、一人一画面にして部屋の中にぐるりと円を描くように画面を設置したもの。歌声はみんな素人だし、歌ってる様子もなりきっててみんなそれぞれ面白いんだけど、ああ、みんなレナード・コーエンの歌、大好きなんだねえ、と伝わってくる。でも、熱唱していい気分のおっちゃんたちを見てると、笑わないではいられない。

 

macm.org

 

レナード・コーエンが住んでいた家の前の公園とか、見に来ていた人たちは多分全員その近所を知っているのではないか、と思うような、地元の連帯感が漂っていた展覧会でした。 


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