食いしん坊、北米でヴィーガンになる

北米で植物性食品を食べて強く生きる記録

人生で一番古い記憶と、記憶しない装置

クリスマス・ディナーの残り物が連日続いたので、久々にアジア飯

これを書いているのは12月27日、クリスマスディナーから5日目ですが、予想通り23日の早めのクリスマスディナー以降三連チャンで残り物ディナーが続き、その翌日(26日)こそは残り物じゃ足らないから何か別のを、、と思っていたら、帰宅した私に夫が「ちょっと足らないからまた野菜のローストを仕込んでおいたから」と、同じような夕飯がさらに続きました。

ちょっと飽きた、と思っていたら夫も「西洋のご飯が続いたから、(流石に)今夜は和食がいいかも」と。

 

西洋の、、の部分は英語の直訳で「西の食べ物」って言いましたけどね。

洋食っていうとちょっと明治期から日本に入ってきてる西洋の食べ物の日本ヴァージョンっていうニュアンスがあるから、うちが連日食べてたあれは日本語ではなんて呼べばよろしいのか。

 

とにかく、今夜は野菜炒め2種(手抜き)と味噌汁とご飯でした。

なぜ味噌汁はほっとするのか。

 

 

お題「人生で一番古い記憶」

 

我が兄は彼が1歳半くらいの頃のことを覚えてると豪語します。

 

一方私は、何歳だったのかは定かではありませんが、多分3歳から4歳半くらいまで住んでいた家で巻き起こったことや、その家から通っていた保育園でのことなどをかなり鮮明に覚えています。

 

楽しい時代だったのか、辛かったのか。

 

その家からほど近くにあった保育園へは母に手を引かれて通っていましたが、そこのお昼の給食に毎日出てきていた、アルミのボウルに入った生暖かい牛乳が飲めなくって辛くって怖くってストレスだったこと。

 

体が拒絶するというか、顔の前にそのボウルを持ってくるだけで吐き気というかオエっと胃の上の方から喉の奥がぐっと硬直する痛みのような感覚を覚えるというか。

 

涙目になりながら飲めない、と大人に訴え、保母さんには、またこの子は、、って思われていたんでしょうね、飲めない罰みたいな形で給食室にいる恐ろしい形相のおばさんにボウルを持って返却に行かされていました。

恐ろしい形相のおばさんは実際にはどんなお顔だったのかは知りませんが、多分そんなに恐ろしい顔立ちではなかったんでしょうけれど、連日同じことを繰り返す幼児を相手に、おどかしたら飲むと信じていたのか、最近の子供は我儘だと思っていたのか、とにかくすんなりと受け取ってはくれないからかなりストレスだったことは覚えています。

 

その保育園でのことは結構色々他にも覚えています。

 

園の庭の隅っこにブランコがありまして。

そのブランコに乗ってブンブン漕ぎながら、ふと「この鎖と座ってる板のつなぎめの大きな輪っかの部分を持って漕いだらどうなるかな」と思って実行に移したところで記憶が途切れまして、意識が戻ったら母におんぶされてまして。

 

座ってた板と鎖の繋ぎ目は、その板に座ってブランコを漕ぐ時に掴まると見事に旋回軸になり、乗っていた私は後ろ向きに砂の上に頭から落ちたようでした。

なるほど、そりゃそうだ!

 

「なんでこの子はこんなにしょっちゅう転んだり怪我したりするんだろう」

と怪我しない日のない娘に呆れたような諦めたような母の言葉を覚えていますよ。

 

 

そして、何かと両親や祖父母に「あなたが*才(私の年齢)の頃はどんな遊びが好きだった?」などと質問しては「私はそんな昔のことは一切覚えてないよ」「もうそんな昔のことは忘れたよ」などという返事をされるので、なぜこんな鮮明な事柄を忘れることができるのか、と不思議に思っていたことも覚えています。

 

 

そういう変な部分だけは今でも覚えてますけれど、買い出しに行くのに買い物リストを書き出して、その紙を見事にテーブルの上に忘れて店まで行ったりとか、仕事帰りに図書館に寄って注文してあった本を借りて帰るつもりがすっかり忘れて帰宅したりとか、そういう物忘れはしっかり進行中です。

 

メモしとけば良いでしょ、と思うんですが、メモしたものを見るのを忘れるんですよ。

はっはっは。

 

何でもかんでも全て覚えてたらメンタルヘルスにとってはあんまり良いことではないでしょうし、忘れてしまうというのは生存本能なんですよね。

 

 

そうそう、はてなの新しい機能のAIがタイトルをつけてくれるかも、のやつを試したら、この記事のタイトルの候補(どれも笑える)の中の一つは「クリスマスディナーの連日残り物!飽きた日本食が待ってる」でした。

 

AIってやはりまだまだなのでは?


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