室内キャンプ生活はまだ続いてます。
いつまで続くん?という声が聞こえてきますが(夫から)まだ続くんだからしょうがない。
以前からご飯もおかずも一緒に盛り付けて丼もん的な食卓でしたが、異種おかず同時盛り、何ならご飯の後のデザートも同じ皿、というキャンプ具合です。
いや、日本のキャンパーの人々の凝った食事やデザートは同じ皿には盛られてないですね。
デザートは、冷凍庫に居座ってて忘れられてたアップルソース(一昨年の?)ですが、美味しかったです。
1969年、ウッドストックと同じ年
に開催されたHarlem Cultural Festival, ハーレムの文化と音楽のフェスティバル。
1967から毎年開催されていたようですが、1969年の八月に開催されたウッドストックの知名度の陰になって忘れ去られていたそう。
私はこの映画 Summer of Soul (2021)で初めて知りました。
60年代といえば濃い時代。
ポップカルチャーを通して、政治も社会も大きく変化した当時の様子が垣間見えますが、このフェスティバルの映像記録がつい最近まで誰にも振り替えられないままで忘れられていた、と言うことに衝撃を受けました。
フェスティバルには結構有名どころが出てきますよ。
スティービー・ワンダー、BBキング、スライ&ザ・ファミリーストーン、ニナ・シモーン、マックス・ローチ、マヘリア・ジャクソン、ザ・フィフス・ディメンション、などなど。
でも全体的にはコミュニティの夏のフェスティバルなんだなあという雰囲気も強く感じられます。
マンハッタン、ハーレム、と聞くとそこに住んでいない日本人の私には、世界的な観光都市、商業都市、金融都市、文化都市、あの有名なニューヨーク市の中心地マンハッタン、その中でも一昔前までかなり怖いと言われていたハーレム、と言うような、そんな印象を持ちますが、このフェスティバル(無料!)を見にきた人々はそのコミュニティに住む人々。
ステージ上のアーティストたち(バンドメンバーに白人がいるスライ&ザ・ファミリーストーンとキューバ人とプエルトリコ系のアーティストを除くと皆黒人)も同じ黒人同士というブラザーフッド、シスターフッドを強く全面に押し出しているし、、観客(九割九分九厘が黒人)も嬉しそうに踊ったり声を出して反応している様子が見て取れます。
登場するアーティストのレベルは違いますが、私の街(モントリオール市の中のうちの地区)でも夏には無料のコンサートとか地域おこし祭り的な催しが無料!で開催され、近所の人たちが子供を連れて観にきますが、ある意味それと同じようなノリを感じます。
うちの界隈と違うのは、住んでる地域だけではなくて、被差別グループである「白人以外」の有色人種、いやいや、ボイス・オーバーの解説やMCでは「黒人だけじゃなく、ブラウンでも赤でも何色でも」と何度か言われていましたが、実際はやっぱり黒人同士のブラザーフッド・シスターフッドの強い繋がりを感じるハーレムという部分。
私が住んでいる多文化・他民族の移民地域(特定の組織的差別を受ける人種の地区ではない)とは同じではありえないですけども。
街中で、メトロで、職場で、あちこちで見かける黒人の人たちは、別に知り合いじゃなくても同じ空間ですれ違いざまにお互いに気がつくと、ちょっと目配せというか、ちょっと会釈というか、ほんのりと、決して大袈裟でなく(普段から大袈裟なジェスチャーをする人は大袈裟でしょうけど)お互いを認識し合ってることを示し合っている、そういう場面を目にします。
全員がそうじゃないのかもしれませんし、それを見かけた時に質問して確認したわけじゃないですけど、アジア人の私がアジア人とすれ違う時に目があっても、別に目配せとか会釈とかしませんから、やはり違う文化なのだと思います。
あ、でもアジア人の私にアジア人のレジの女性が「中国人?」と聞いてくるとか、知らない人に中国語で話しかけられるとか、そういうことはありますから、やはり多数派(私たち以外)の中に浮遊する少数派同士で同じところから来たのかもしれない人を見つけたい、という心理は共通するのかもしれません。
でもそれをもう一歩進めて、積極的に確実に確認し合う、というのはやはり黒人の人々特有なのでは。
そしてその理由はやはり、差別がある社会に住んでいるせいだと推測します。
そんなことを思い起こさせるこの「コミュニティの連帯」「我々はブラックで、ブラックというのはネガティブじゃないんだ」「ブラックは美しい」というメッセージがなん度も繰り返されるから。
今でこそそんなの当たり前じゃん、と思いますが、この当時は市民権運動やキング牧師暗殺、マルコムX暗殺などの記憶が生々しく、差別もまだまだ激しかった時代。
いや、そう書きながら、この当時だけじゃなくて今だに黒人差別は色濃く残ってる、そんなまさか、と思うような差別的な犯罪が警察によって行われ、司法機関によって見逃されたり温情されたりするのを今だに目にしますけど。
映画の中で、当時黒人の若者で初めて白人が通う大学へ入学した学生二人のうちの一人だったというジャーナリストがその当時のことを話す場面があります。
彼女は女子寮に入ったのですが、寮生全員が2階より上の部屋をあてがわれていたのに彼女は一階の部屋に住むことになり、毎晩上の階に住む寮生たちが嫌がらせのために床をガンガン踏み鳴らし続けていたんだとか。
彼女はそのエピソードを「でも私はニナ・シモーンのアルバムを持っていたので、それを聴きながら心に勇気をもらっていたから、大丈夫だった」と。
ニナ・シモーンのメッセージは力強いし、彼女の言葉も勇気を与えてくれるけれど、そんな嫌がらせを上の階に住む学生たち(全員じゃなかったとは思いますし、思いたいですけど)から受け続けるなんて、想像を絶します。
彼女の強さにも驚嘆しますが、人間の醜さにも言葉を失います。
作品中でのパフォーマンスの方がこのビデオのバージョンよりも格好良いですが、こちらに歌詞が載っていますのでぜひご確認を↓
大学を卒業した後、彼女はNYTで記者になりますが、「自分たちはブラックであり、ブラックであることを誇りに思う」という黒人コミュニティの意識の変化に応じるべく、当時黒人のことを二グロと表現していたのをあえて「ブラック」として記事を提出したところ、白人編集者に「ニグロ」に訂正されたというエピソードを話します。
彼女はその編集者に抗議して再びブラックという表記に戻すことに成功しますが、このエピソードはかなり興味深いです。
私は「ブラックという言い方で彼らを呼ぶのは差別的だ」と義母に「カラードピープルと言うべし」と訂正されたことがあるのですが(20年前くらい)「え?うっそお?」と夫を見ると、夫も「ああ、お母さんちょっとズレてるから聞き流しといて」と。
義母は黒人差別の生々しいアメリカの隣国カナダに戦後にやってきて、「差別はあかん、彼らのことは***と呼ぶのです」とかなんとか言われたのではないかと。
それ以前は黒人のことは二グロ(スペイン語で黒を意味する単語から)と、さらに差別的に短縮された言い方も使われていたわけですが、現在ではこの言葉を使うことは差別行為であるとされ、例えばその単語が使われていた当時の小説などの表現さえ変更するとかしないとか、とにかくかなりセンシティブな問題となって久しい。
差別が存在するかどうか、言葉はその後についてくる。
とはいえ言葉に含まれる差別的な意味合いや歴史的な背景を知らずに使うことは危険ですし、言葉が差別を呼び起こす場合もある。
差別は現在でも続いているし、米国における黒人差別だけではなく世界中に存在する問題だからこそ、差別構造を変えようと黒人コミュニティが力強いメッセージを発していた当時の様子はとても心に響きます。
私、ニナ・シモーン大好きなんですけど、本当に格好いいんですよ。
私たちの若者に、あなたは若くて才能があって、黒人です、と事実をきちんと伝える必要がある、というメッセージは力強い。
ぜひご覧あれ↓
音楽ってやっぱり良い