食いしん坊、北米でヴィーガンになる

北米で植物性食品を食べて強く生きる記録

サラダうどん、その生徒指導、本当に指導ですか?

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ひんやり、サラダうどん

 

ここ数日急に冷えてたモントリオールです。

南オンタリオではちょっぴり積雪があったとか。うひょー、もう六月になるというのに。

 

まだちょっと暖かかった頃に作った手抜きサラダうどんです。

冷凍うどんをたま〜に買うのですが、あったかいうどんという気分でもなく、焼うどんにするのも暑苦しいし、でもご飯炊くのも面倒くさいなー、だるいなー、という時に思いついた、昔、東京の居酒屋でお気に入りだったメニューにインスパイアされた暑い時もいけるメニューです。

 

 

家にある材料で適当サラダうどん

  1. 冷凍うどんは冷凍庫から出しておく(茹で時間短縮もかねて)
  2. 玉ねぎ、ズッキーニ、きゅうりを細切りにする。トマトは角切り。
  3. 薄い豆腐シートを細切りにしてお湯でさっと湯掻いて水洗い、水切りをする。
  4. うどんもさっと茹でたら水洗いしてよく水を切る。
  5. ヴィーガンマヨ、塩、胡椒、オレガノ(乾燥)であえる。

 

野菜はスパイラルカッターで作るズッキーニパスタみたいな感じにしようと思ったのですが、そんなカッターは持ってないし、細切りにするならとことん細くないと麺と一緒にくるくるっとフォークに巻き取ることができません。

次回はもうちょっと短めに切ろう。 (スパイラルカッターは買う気なし。)

もう一つ後で思いついたのですが、スーマックを入れても良いかも。

 

薄い豆腐シートは冷やし中華に入れるハムや卵焼きの細切りを再現する時に便利なのですが、元々麺状で袋に入ってるものも売られています。

でも自分で切ったほうが腰があるような気がします。

 

 

誰のための「生徒指導」?

日本の学校の校則の中には、基本的人権を無視しているというか、人権というものは未成年には適応されないと思っているのかと思わせるようなものがたまにありますけれども、この記事を読んでびっくり仰天しました。

 

www.nishinippon.co.jp

 

そういえば中学の修学旅行前に、持参予定の持ち物をカバンに全て詰め込んで、学校に持っていって教師にチェックされる日があったのを思い出しました。

 

体育館にクラスごとにズラーっと並んで、そこでみんなが「体操座り」してる横にカバンをおいて、担任と校則の指導をする教師(なんていう役職名だったか失念)がその間を練り歩いて一人ずつ中身をチェックするという。

 

私が通っていた中学は生徒を囚人みたいに扱う学校だったのでかなり嫌いでした。

 

普通の公立の学校だったんですけれど、以前かなり荒れていたところ生徒数が増えたため新しい学校が設立し、校区の半分がそちらに行ったことで荒れてる生徒がいなくなったのをきっかけに校則を厳しくして教師が権力を盛り返してその維持に必死、という状況だったので、後々同じ年代の友人と中学時代の話をしていても「きゃすぴえの学校は酷かったんだねえ」と言われるような所でした。

 

たまたま私のクラスの担任教師は細かい校則を面倒臭いと思っていたのか、学生の持ち物を触っていちいち確認することに抵抗を感じていたのか、口頭で聞くだけで、しっかりとチェックしないで済ませようとするタイプの人でしたので、自分のカバンの中を調べられることはなかったように思いますが、そういう教師を「**先生は甘い」などと信頼せず、校則担当の教師が抜き打ちであちこちのクラスの生徒のカバンに手を突っ込んで歩いていたんだと思います。

 

目をつけられていた学生などはかなり嫌な思いをしたんじゃないでしょうか。

 

14、15歳くらいのまだ子供っぽさも残る年頃の人間相手に、いい大人が校則と竹の棒を振り回して(当時はそういう教師が結構いました)「中身を出せ」とか「これはなんだ」とか言ってプライバシーを蹂躙してくるんですからひどいです。

どんな理想の元にそういう行為を正当化していたんでしょう。

 

最近の学校ではそういうことは多分一切なくなっていて「昔は酷かったんだねえ〜」なんていう、そういう世界になっていると思っていただけに、上の記事には驚きました。

 

 

校則で個人が身につける衣服の詳細を規制する理由はなんでしょう。

 

10年くらい前にカナダだったかアメリカだったか、高校生が「肌を露出するセクシーな装いは禁止」という校則が差別的だとして訴えたとかなんとかいう話がありました。

男子生徒が授業に集中できないからだ、という説明に「男子が女性を性的な対象としてしかみられないのは男子を教育すべきであって女子の服装を規制して解決しようとするのはおかしい」というような議論だったと思います。

 

どちらの意見もそれなりに理解できる部分があるし、学校側も保護者からの苦情などもあるだろうし、高校生くらいの年頃って難しいなあ、大変だなあ、と思うのですが、こういう議論をすること自体は良いことだと思います。

個人的にはセクシーな格好なんかしなくても平気ですけど、セクシーの線引きはどこかとか、色々な考え方の人たちが同じ学校に集まります。

 

一方で下着などという、本来他人には見られない部分にまで校則で口出しして監視しようというその姿勢、生徒同士で監視しあうシステムを作り上げようといているというその考え方、そこには子供を人間として尊重しようという発想がかけらも感じられません。

 

大人である教師が未成年の子供の下着をみること=未成年相手の性犯罪と批判される可能性、を避けようとしているのかもしれませんが、ならば同級生の友達同士をスパイとして使おう、っていう発想が教育の現場から出てくるなんて。

 

記事によると、監視体制を作って生徒の行動をコントロールしているのはその学校だけではなく、行動の対象も下着の色だけではないようですけれども、こういうやり方でいかに規則や規律が守られるようになっても、そんな学校で心底安心して友達を信頼して過ごせるとは思えません。

 

 

何のため、誰のための校則なのやら。


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