モントリオール市に住んでいると、水道代はかかりません。
正確にいうと、賃貸住宅に住んでいると水道代のメーターの存在も知らずに暮らせているはずだし、持ち家のオーナーは、以前は年に一度、メーターを一応確認してそれをもとに水のサービス税みたいなものを一年に3千円くらい払っていたけれど、それも今はいつの間にか無くなりました。
自宅にプールを持っている人は、使用量が半端なく多いので、ちょっと税金も高めなはず、という噂を聞いたことはありますが、使用量に応じて料金を払うシステムではないので、水はそれこそ、湯水のように使っても屁でもないシステム。
住んでいる国ごとに異なる節水の習慣
学生の頃、オーストラリアに遊びに行って、ユースホステルみたいなドミトリー形式の宿を泊まり歩いたことがあるのですが、台所で皿洗いをしていた折に「日本の人は水を無駄に使う」と咎められた覚えがあります。
洗剤で洗った皿を水で濯がない人たちも存在することを知ったのもその頃。
日本は水が豊だから無駄遣いが普通になっちゃってるのかな、などと反省したような。
水道代がかかるところに住んでいたとは言っても、水道代で苦しんだ記憶はありませんから、やっぱりそんなにすごい金額だったわけはなかったんでしょう。
日本に住んでいた頃に水不足とか、水道のサービスが日中停止したとか、庭の水やりの時間制限がかかったとかいう記憶もありません。
昨今の日本ではどんなでしょう?
モントリオールの水の使用制限
さて水道代のかからないモントリオール。
夏場はたまに特定の地域で水不足になり、水道水の使い方に規制が入ります。
主に、洗車や庭の水やり。
洗車禁止とか、水やりは夜八時以降朝*時までの間のみ、とか。
水やりの時間制限は私が住んでいる地域でもよく聞きます。
日中日が照っている時間帯に水やりすると、地面に水分が吸収される前にかなりの量蒸発してしまうので無駄だと。
そういうこともあってか、水やりは午後8時以降とか、日没後のみ。
とはいえ夜中にスプリンクラーをタイマーでセットして芝生に何時間も水やりしてる家もありますから、どこまでこれが有効なのかわかりませんけれど。
気候、自然、庭や農産物
芝生というのは、本来は英国とかアイルランドとか、北ヨーロッパの雨がしょっちゅう降っててそんなに日が照らない気候の土地のもの。
そういう土地だから芝生が青々と茂るのであって、本来砂漠気候のカリフォルニアとか、そこまで行かないとはいえ日照りが続く北米各所で、ヨーロッパの素敵な庭みたいに芝生を青々と維持したい、というのは気候帯に逆らってますから、やはり無理があります。
昨今は庭に芝生ではなく、生命力の強い地元原産種の植物を植えるのもかなり普及してきていますけれども。
そして、カリフォルニアみたいな乾燥地帯で、米のような水をふんだんに使う農作物を盛んに作っているのは、何かおかしくないか?
という疑問があるまま、北米で日本米を買うと、原産地はカリフォルニア。
やっぱり罪悪感を感じます。
アメリカの深刻な水不足
フーバーダムといえば、1930年代,大恐慌の最中に建設が進められ完成した、テクノロジーを駆使して自然をコントロールして文明社会を潤す大規模な政府主導のインフラストラクチャーの代表格ですが、このダムの貯水地でもあるミード湖が年々水位が下がり続けて危機的な状況にあるそうです。
コロラド川を水源とする周辺の州はいずれも数年前から今後何年かに及ぶ節水規制を続けなければ、水源が枯れてしまうほどの危機だそう。
ですが、どの州も大規模な規制はしたくないため、なかなか対応が難しいのが現状な模様です。
一般家庭にとっての水道の利用制限といえば、庭の水やり、庭のプールの水の利用制限、洗車などの制限、それくらいでしょうか。
数年前旱魃の頃のカリフォルニアの友人宅に行った折には、トイレは大便でないなら流さないでくれ、と言われたのを覚えています。
各家庭で努力できることって、色々あるけれども、でもせいぜい個人宅での利用はたかが知れていて、結局は農業、酪農、畜産業、工業、などでの利用量が一番大きいはず。
砂漠で米、アーモンド、アボカド、などなどを栽培させておいて一般家庭でトイレを流さないほどの節水をしても、使用量の規模が違うから、なんだかおかしい気がします。
とはいえ水不足なら、みんなで使用量を抑えなければいけないんですが。
ダムの貯水量が減れば、水力発電もままならなくなりますから、そうしたら発電も石炭や石油や原子力と、環境の点でも後退してしまう可能性も。
カナダには何百、何千の湖があるのか知れませんが、基本的に水はふんだんにあります。
だから水道代がなかったり、水をじゃんじゃん流しっぱなしにする習慣のある人が多かったりするのです。
見ていてイラいらするほど。
一方で雪解け水で洪水だとか、大雨で洪水だとか、そんなことも結構あります。
自然は舐めちゃあかんぜよ。
カリフォルニアに住んでいる義姉がモントリオールに遊びに来た折、夫がバーベキューの脇にバケツをおいて水を入れながら、おしゃべりしながら水をダーダーと無駄にしたり、水やりをばんばんするのを見て「そんな無駄な使い方!カリフォルニアでは許されないよ!」ときつく批判しました。
そりゃそうだ。カリフォルニアじゃあ許されまい。
すると夫「そうだろうけど、ケベックでは許されてるし、ケベックで節水したところでカリフォルニアに雨が降るわけじゃないでしょ」
そうなんですよね、水不足の地域があって、気の毒だしどうにかなってほしいと思うけど、水不足じゃない地域で一緒に節水しても別に助けられない。
とはいえ、いつ何時我が街でも水不足が起きるかはわかりませんから、水を無駄にジャージャー流す習慣は改めるべし、と夫にも同僚にも言い続けるのみ。
水不足同様、夏場は旱魃で森林火災なども巻き起こります。
自然を征服することはできないのだから、自然の恵みを無駄にしない暮らしをせねば、と思うのです。