食いしん坊、北米でヴィーガンになる

北米で植物性食品を食べて強く生きる記録

Summer Savings Time:冬の終わりと1時間の時差ぼけ

毎年恒例「見てみて!春一番の新芽が出てます!」クロッカスです(多分)

毎年見てるのに飽きないのか、飽きません。毎年嬉しい。
 
これも毎年書いてますが

今年もこの季節が来ました。

Summer Savings Timeに切り替えるために時計を1時間進める時が。

 

秋、SSTを終える時には1時間遅らせるため、1時間余計に眠れます。

春は逆で、1時間眠る時間を失います。

 

いや、早く寝れば良いんですけどね。

 

時計を変えるのを忘れて1時間遅刻とか、1時間遅れていつものテレビを見ようとするとか、そういううっかりもあり得るので、1時間のずれによる障害をなるべく最小限に納めようという配慮で、この切り替えは毎年、春も秋も、週末に行われます。

 

土曜の夜、日付が変わったら1時間ずらします。

確か12時じゃなくて1時だったと思います(毎年わざわざ夜やらないので記憶があやふや)

でもこれも、「日曜の深夜に時計をずらす」という言い方をする人もいるので(深夜12時すぎたら翌日だから)ちょっとややこしい。

 

最近はコンピュータで勝手に時計が変わっててくれるものが多いので楽ですが、ベッドルームのラジオ時計とか、台所の安物の乾電池で動かしてる時計とか、私の腕時計とか、夫の腕時計とか、電子レンジの時計とか車(古いもので)の時計とか、手動で変えてまわります。

 

まだ暦の上での春も来ていませんが、日照時間は確実に長くなっているし、1時間時計がずれたら夕方の明るい時間がグッと長くなるので、一気に春気分、、というか、気温はまだまだ日中5度も行けば大騒ぎなくらいなんですが、「夏」という言葉を使う人が増えてきます。

 

そして、1時間時計をずらすことで体調が崩れる人も続出します。

日本に帰省で往復することを考えると1時間で時差ぼけってなんの話?と思いがちですが、実際に世界中のSST実施地域でこの時期に体調を崩して救急医療室に運ばれる人の数がぐんと増えるらしいですよ。

 

で、毎年SSTをずっと続けようではないか(時計を1時間変えるのをやめようではないか)という議論が蒸し返されます。

 

 

Banshees of Insherinのセーター 

作品中で登場人物が着ていたセーターを編んだ方についての記事を見つけました。

アイルランドにお住まいのDelia Barryさん↓がそのニッターです。

Bansheesのセーターの前にもいくつもの映画やテレビにニットウェアを編んでいらっしゃったようです。

編み物がもっと広く普及していた頃は、学校で習ったりして、家でも日常的にたくさん編み物をしていた人は特に珍しい話ではなかったんですよね。

 

Deliaさんもそんな世代で編み物の年季がすごいんでしょうね。

すごいなんて言葉では失礼ですけれども。

 

朝から晩まで、途中で散歩に行ったり休憩したり他のことはなさるようですが、でも結構何時間も編み物をなさるようです。

目とか指とか、体も使いますから、高齢になってきて編み物ができなくなる方もいますからね、健康が大事。

集中力も大事ですしね。

 

 

映画で登場人物が素敵なニットウェアを身につけていると、ちょっと気になるんですが、いつもコスチュームデザイナーのクレジットまでチェックするとか、そこまでの情熱があるわけでもないので「あーあの作品の**さんがきてたあれ素敵だったな〜」でおしまいなんですが、Bansheesに出てきたセーターの数々は私も素敵だなあと思いましたが、TikTokなどオンラインで話題彷彿なんだそうです。

そりゃそうですよね、素敵ですもん。

 

昔のアイルランドの、しかもセーターで知られてるアラン島のあたりを想定した島で生きている登場人物が日常的にきているセーターですから、伝統的な技法で伝統的にあり得るデザインで、登場人物の設定に則した着古され方をしているわけですが、私はてっきり古着屋さんみたいなところでいい感じのを買って使ってるんだと想像していました。

 

それじゃあうまく体に合うかどうかわからないし、穴空いてたり素材が違ってたりしかねないですよね、何考えてたんでしょう私は。

 

ちゃんと時代考証とか設定を考慮してデザインや雰囲気を指定して、そして上手なニッターさんに依頼して制作されていたわけですね。

 

写真はNYT記事から拝借

Collin Farrell演じるPádraic はお姉さんと同居していて両親はすでに亡くなっている設定ですが、このセーターもきっと両親のいない弟のためにお姉さんが編んであげたんだろう、その時にはあれこれ弟のために考慮したデザインを取り入れたんだろう、という、物語の前面には出てこない部分を想像して、キャラクターがいかにも着ていそうなセーターを作り出すのだとか。

なるほどね。

襟がついたセーターは「きゃー素敵」という感じの格好よさではなくて、ああこういう感じの手作りニットって昔見たような気がするな〜、という懐かしさを感じさせます。

実際このセーターを見ながら私は子供の頃母が兄に編んであげたセーターのことを思い出していました。

兄のは青だったしデザインが似ていたわけでもないんですが、なんとなく雰囲気が共通していたんでしょうかね。

 

着古した感じも、登場人物の設定(毎日来てるとか、服で手を拭う癖があるとか)に則した着古したニュアンスを作り出すため、編み上がりの新品に色々と手を加えるらしいですよ。

へ〜、もったいないなあ。

毛玉だらけ、とかなのかな、また観に行ってじっくりセーターに集中してみてみるかな、、(きっとできない。)

 

www.nytimes.com

www.esquire.com

そういえば今年はセーターを編み始めたんですが、日本へ帰省して一旦止めてからやる気が蒸発したようで、完成はならず。

というかゲージをとって計算して編み始めたはずなのにブカブカっとしててちょっと大きすぎるんですよ。

ビリー・アイリッシュみたいで格好良いか?なんて自分を誤魔化してこのまま行っちゃおうかそれとも解いて目数を減らしてまた編み直そうか、と考えた時点でにっちもさっちも行かなくなって放置しております。

編み続けたにしても編み上がりは初夏になっちゃいますよ。

 

 

ヴィーガンなので新しいウール糸は買わずになんとかしてますが、それでもやっぱり編み物はウールや天然素材のものだよな、と思います。

だから古いものも大事に使わなきゃ。


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