食いしん坊、北米でヴィーガンになる

北米で植物性食品を食べて強く生きる記録

大型チェーン店と個人経営、消費者の判断

昨夜の夕飯は夏野菜のインド風グレイヴィーと、ゴビ・マンチュリアン。

ゴビ・マンちゅリアンはちょっと前に作って好評だったので、カリフラワーの良いのがあったので作って見ました。

 

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夏野菜のインド風グレイヴィーは玉ねぎ、ナス、ズッキーニ、赤パプリカ、平たいインゲン豆、トマトの順に炒めてラタトイユみたいな感じで作りますが、タイムの代わりにクミン、コリアンダーシード、ターメリックなどで味付けしました。

 

 

Walmart(大型チェーン店)と個人経営の小規模ストア

北米でかなり繁盛しててどの街にもあって多くの人々が節約したければここへ行く、と言えばウォルマート。

電化製品から食料品まで揃う「デパートメントストア」ですが、日本でいうデパートのような高級感は一切なく、あくまでも格安販売店。

 

加工食品をあまり買わない身には、あんまり買うものもないし、洋服類もそんなにしょっちゅう買い替えないし、なるべく消費活動をしないようにしていると、そんなに行くことのない店ではありますが、子供がいる家庭だとか少しでも安く色々買い揃えなければならない場合はやっぱりここ、といった感じ。

 

ウォルマートは納入業者にものすごい割引を要求するので、ここに納めている会社にしてみればいじめられてるようなもの。

お客さんは同じものがよその小規模の店で買うよりも安いからと地元の小さな店へ行かなくなるから、地元の商店街が廃れて行ってしまう現象が起こります。

それだけでなく、ウォルマートには格安で納入せざるを得ない業者側はその損失を取り返すべく、別の店には割高で売りつけるので、それこそ小さな店は割高に棚に並べるよりなくて、ますます客足が遠のく、、、。

というわけで、この店が登場したら小さな街は以前からの商売屋さんがどんどん消えていき、街そのものが変わっていくと言われています。

 

ウォルマートのこういった罪はよく知られていることで、だからなるべく買い物はウォルマートには行かないようにしましょう、という声が以前から上がっているのです。

 

それでもね、やっぱり予算が厳しい時はウォルマートに行ってしまうよね、街の小規模個人商店も守りたいけど、でも自分の財布を犠牲にしてまでは無理よね、というのは庶民の自然な行動の流れでもあり。

 

という次第で、ウォルマートで買い物するたびに罪悪感を感じてしまうのだというところから下の記事は始まります。

ウォルマートで買い物をすることで、実際に自分たちは誰を傷つけているんだろう、と。

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パンデミックのもっと前からしばらく、旅行に行っても大都市って似通ってて面白くないなあ、というか、中規模都市もだんだんとどこもかしこもなんとなく似通ってきてる気がしています。

 

東京でもニューヨークでもシンガポールでもあんまり大差ない大規模なチェーン店が必ず何軒も並んでいて、その合間にその土地らしい地元チェーンとか個人店とかがある、という感じで、その世界中にあるような大型チェーン店と地元っぽい店との割合が、だんだんと大型チェーンに押され続けていて、だんだん本当に面白くないことになっていると。

 

買い物する店だけでなくて、カフェやファーストフードチェーンなんかも、大型チェーンが本当にすごく増えてます。

 

この夏の日本滞在では、親の家にほぼずっといましたが、二度東京に遊びに出た折、やっぱりスーパーのチェーンは同じものがあっちにもこっちにも、コンビニに至っては昔見かけたマイナーなチェーン店は全く見かけなくて、緑とオレンジのあのチェーンと、青字に白のあのチェーン、それから緑のあのチェーン、その3種類くらいしか見なかったように思います。

 

 

上の記事によると、アメリカには1936年に制定されたロビンソン・パットマン法という法律があり、ウォルマートのような小売業者が大幅な値引きをするよう仕入先に圧力をかけることを禁じ、大型チェーン店などが独占的に大きな力を持ちすぎないように抑制する意図はあるのだそうです。

でもそれが実際にはきちんと守られておらず、その法律を守らせようという機能が働いていないようです。

日本にもそういった法律があるような気はしますけれども、やはり大手企業の力が強くなるとなかなか規制がしにくいのでしょうか。

 

パンデミックで潰れていく個人経営の商売(や会社)が続出し、やはりこのままではまずい、ということが再び認識され始めています。

日本もそうですよね。

 

大きな店は儲からない地域からはどんどん撤退するから、昔ながらの商売が消えた後でそう言った大型店舗が消えてしまったら、そこの住民は生活必需品を買うために遠方まで足を伸ばさなければいけなくなってしまうし、街のバランスが崩壊してしまいます。

 

地産地消という言葉は食料の話としてよく聞きますが、それ以外の消費活動もなるべく地元産、地元の店、地元で働く人々にお金が戻るように、と意識することが必要ということでしょう。

 

お金はかかりますけどね。

 

 

地元で生産消費活動していることがブランドのバッグや車を持つよりも格好良いステータスシンボルになれば良いのに


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