食いしん坊、北米でヴィーガンになる

北米で植物性食品を食べて強く生きる記録

本棚の中身はなぜかちょっと恥ずかしい

今週のお題「本棚の中身」

 

今週のお題(でも次のお題も出てるようだからこれをアップロードする頃には先週のお題か)が本棚の中身というのを知りまして、私もバンドワゴンに飛び乗ってみます。

 

 

現在私の本棚は、乱れております。

 

見た目を考えて背表紙の色ごとに本を収納するという人の話をたまに聞きますが、そんなことしたらふと手に取りたい本の背表紙の色を覚えてなかったら探すのが大変じゃないのかな、とか、背表紙の色は揃っても本の大きさや厚さが不揃いだったら大して統一感ないんじゃないのかなとか、あんまり素敵な案じゃないように思えてなりません。

 

作者別とかジャンル別に並べるというのは、図書館みたいでこれはやってみたいと思うのですが、というかこの乱雑な本棚の当初のシステムはジャンル別だったので、一応その志はあるのですが、一段に収まらないジャンルや数冊しかないジャンル、何冊も追加されてきてうまく調整しきれないから別の段に押し込まれて分散しているものもあります。

 

我が家に存在する書籍は一部は地下室の棚や積み上げられた箱の中に、一部は私の部屋に、一部はリビングルームの本棚に、一部は夫の部屋の本棚、階段の踊り場の壁面にある本棚、、、とトイレに置いてあるマガジンラックとラジエーターの上、そしてあちこち「その辺」に置いてあります。

 

トイレと「その辺」は夫が定期購読している雑誌や旅先でもらってきたフリーペーパーや図書館で借りてきている本などが巡回しています。

 

図書館で借りた本をトイレに持ち込んでしまって世間様にはちょっと申し訳ない気がしますが、うちは夫も私も本のページを捲るときに指先を舐めたりしないし、借りた本のページに書き込みしたりしないし、公共の物への敬意はきちんと払っている方ではないかと思います。

トイレに持ち込む以外はね。

 

 

ということで、恥ずかしながら自分の部屋の書棚の一部分を撮ってみました。

雑然と。でもこれが現実。

本が入り切らないくせに本じゃないものまで押し込んでありますね。

でもこれは本が斜めにぐちゃっとならないようにするブックエンドの役割を当初果たしていたのです。

ガマ口にはパンデミックのため使わなくなって財布に入れなくなった現金が入っています。

 

上の段の真ん中に踊ってるように見える銀色の人は、今年の初め頃にズームでアートワークショップにスタッフとして参加した折のテーマ「セルフポートレート」として手っ取り早くその辺に転がっていたアルミ箔で作った「クロスカントリースキーをしている私。」

置いた角度的にまるで今まさに転びそうに見えるのは偶然です。

スキー板もちゃんと履いてますよ。ふふふ。

 

そのアルミ箔の私の下に見えるオレンジ色の何か、これは子供の頃暮らしていた家で使っていた、コートなどを引っ掛けるフックです。

帰省していた折に母の断捨離もどきを手伝っていたときに見つけ、「懐かしいねえ、せっかくだから持って帰り」と言われ。

母は断捨離し私はガラクタを増やしました。

 

そんな棚ですが、ここに入れた本に共通するのは、何度も読みたい、所有しておきたいと思っているという点。

例えトイレに出張したとしても戻ってくる本たちです。

 

一番上の段で全容が見えていない棚は日本の書籍の棚で、文庫本は主に父が処分がてら私に譲ってくれたもの。(私は不用品引き取り業者か)

昨年日本で買い込んできた本は右端に積んであり、まさに積読。

餃子のおんがえしは既に読みましたよ。

じろまるいずみさん、ものすごく面白いです。

 

右側の棚は読み物というよりは教科書的なものが収まっています。

一番上はフランス語関係。

辞書や大昔の教科書やノート、入門者が買いがちな星の王子さまやカミュの異邦人などなどが埃かぶってます。

そういえばお題の記事リンクから見つけたブログで異邦人の書評を見かけたのですが、「今日母が死んだ」という出だし、とあり「あれ?死んだのは昨日じゃなかったっけ?あれれ?」と思ったので久々に見てみましたら「今日母が死んだ。または昨日だったかも、わからない。(Aujourd'hui, maman est morte. Ou peut-être hier, je ne sais pas.)」とあり、自分の記憶違いを再認識しました。

読んでも忘れちゃうならなぜ読むのだ、という話です。

読めば読むほど忘れるものが増えるので、読まない方が脳内もフレッシュなままなのでは、なんて神経衰弱でほぼ全てのカードを覚えていて圧勝し続けていたかつての甥っ子を思い出したりします。

彼も受験勉強などで脳が疲弊したのか最近は神経衰弱も弱くなったそうです。

 

 

フランス語の下の棚は編み物やら縫い物関連の本や雑誌、そしてムックというやつが収まっています。

このムックっていう形式、本棚に入れると背表紙が細かったりカバーがくるっと丸まっててタイトルが読みにくく、大きさも割とまちまちで、大判が迫り出している脇に小さめの細めのが隠れてしまったりと割と見ずらい棚となっております。

 

アメリカやイギリスで出版されるクラフトや料理関係の書籍は日本のムックみたいなことはなく、ソフトカバーであっても大判でしっかりした作りのものが多いので本棚に入れて紛れてしまうということはありませんが、クラフトも料理も制作現場に持ち込みやすく価格も比較的安めという点ではムックに軍配が上がりますね。

 

クラフトの棚の下にはミシンが入ってます。

パンデミックで自宅勤務になる前はミシンを置いてあったテーブルが、仕事用の机になった折にミシンもなるべく取り出しやすいようにと本棚に押し込んでみたのでした。

現在はそのテーブルは物置状態になっています。

パンデミックでズームなど遠隔ビデオミーティングを開催できる人々が一気に増えた恩恵の副作用で、夕方開催のミーティングなどに家から出席する機会が増えたりして、仕事の書類など雑多なものがいまだに自室から駆逐できずにいます。

 

 

 

もっとスッキリした棚にしたいのですが、本を捨てるつもりは毛頭なく、この棚の上と天井の間や棚が置いてない壁面にも拡張したいという妄想を持っています。

妄想ですが実際にIKEAに棚板モジュールを見にいったりハードウェアストアで材木など見てみたり(パンデミックの煽りを受け材木価格高騰に直面)まだまだ実行段階ではありませんが、壁一面を本棚にする日がいつかくる、、はず、、、。

 

 

本棚の中身のことなのに何度「パンデミックで」と書いたことか。

パンデミックでなくとも世相は個人の書棚に影響するものでしょうけれど。

 

それにしても雑然とした本棚、やはり小っ恥ずかしいですね。

好みとか生活臭とか色々とバレちゃいますもんね。

 

パンデミックで(また!)自宅からズーム会議に参加する人々の背景に本棚はかなり多かったようですが、現実の書棚ではなくアプリに入っている背景の本棚を使う人も多かったというのはそういうことだったのではないかと思います。

 

長々とお付き合いありがとうございました。


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