食いしん坊、北米でヴィーガンになる

北米で植物性食品を食べて強く生きる記録

コロナ対策の現在と黒死病、天然痘

料理を一切できず放置されていた玉ねぎたちはこんなになりました

 

COVID-19に感染しました

いつかそんな日はやってくると思っていました。

 

知人の中に占める感染経験者も結構増えてきましたし、一度なんかその場にいた人々の中で一度も感染したことないのは自分だけだったこともあり。

「きっとあなたも知らないうちに感染たことあるよ、私も軽かったし」などと言われたり。

 

ワクチンのおかげで、感染=死亡するかもしれない、という恐怖より、感染してしまう可能性はゼロじゃない(むしろそんなに低くないのかも)けれど、感染しても軽症で済む、というのが現在の北米の一般的な受け止められ方です。

 

 

軽症と言っても風邪程度だった人から高熱その他の症状に苦しんだり後遺症に悩まされる人まで色々。

 

 

私はどっちだろう? 

 

 

 

大体普通の風邪だのインフルだのと一言で言っても、熱が出て布団に入って一日ご飯も食べずにずーっと寝て過ごして翌日はすっかり回復、、、というパターンの夫と、大概三日くらい長引き、ちょっと楽になると辛いけど食べたいからご飯作ったり、気になるから皿洗ったりもするし、だからスッキリ回復には1週間近くかかる私とでは大違い。

 

 

蓋を開けてみれば夫婦揃っていつも通りのパターンでした。

 

月曜朝に検査して、火曜まではベッドにずっといて、普通のインフルエンザっぽく骨が軋む感じで熱は38度ちょっと。あと頭痛も。

 

たまたま週末に作ったご飯が、先に発症した夫が1日食べなかったせいもあり、何食分か残っていたので二人でそれを温め直して食べ続けました。

 

夫は回復するまではお腹も減らないらしいんですが、私は腹痛でもなければほぼ確実にお腹が空いて食欲出てきます。

コロナでも食いしん坊健在でしたよ。

 

 

 

気がついてよかった

パンデミック初頭の頃は、風邪の症状だけでもピリピリしていましたから「今後一生風邪なのに無理やり出勤とかできないかも」なんて思いましたが、そのピリピリした雰囲気も去り、少々の風邪なら仕事が休みにくい雰囲気が戻ってきています。

 

 

月曜は、直属のボスがお休みの日。

私と、ちょっと頼りない同僚と二人で回す日なので、休みにくい日。

 

日曜の夜に体の節々が痛み始めて、これはやばい(でも風邪だと思ってた)朝までに治れ!と思っていましたが、起きたらやっぱりかなりの不調で。

 

風邪なのに行きたくないなー、とそれでも行く気で朝の支度を始めつつ、ふと

 

頼りない同僚氏は生後六ヶ月の赤ちゃんがいる人だし、「ひょっとしてってこともあるから、念の為」とラピッドテストをして、結果待ちのタイマーをかけ、朝のお茶を入れ、洗面所で顔を洗ったり(順番変ですか?)していたんです。

 

タイマーの残り時間がまだ十分もある頃にすでに真っ赤なラインが2本現れて「え?これは何?陽性?」

 

気がついてよかった〜。

 

 

陽性の時はどうするべきか

欧米諸国の多くが現在、似たような対策(もしくは無対策?)や把握状況なのではないかと思うのですが、我が州ケベックも、PCR検査場なども閉鎖されて久しく、感染した場合の行動もどうしろ、っていうはっきりした方針がない状態。

 

以前は検査して陰性になってから10日だの5日だの隔離すべしとあったんですけど。

 

 

上司に確認したら、「パブリック・ヘルスによると、症状が消えたらマスクして他人から距離をとって出勤なりなんなりすれば良い。重症化リスクの高い人々との接触は避けるべし、ということです。」

ということで復帰のタイミングは自己判断で、と。

 

 

不思議な気がしますね。

 

 

我が職場はボスの判断で慎重な方針をとることが結構多くて、いまだにマスクを着用しています。

 

日本では「いまだにマスクを」って何?って感じでしょうけど、北米では室内でマスク着用を徹底している場所なんて医療機関くらいだと思います。

 

 

週の後半は同僚やクライアントや学生さんたちに移さないように家で仕事しました。

来週は出勤したいなあ、家の中だけの生活ってやっぱりきついですわ。

 

 

伝染病の恐怖と人々の対応の歴史

感染する前の週の金曜日、仕事帰りに聞いていたポッドキャストは黒死病の歴史。

パンデミックが始まった頃も、やたらと過去のパンデミックの歴史について語られてましたね。

 

黒死病が蔓延した14世紀半ばの英国の状況を詳細に語るポッドキャスト。

当時の医師なんて科学知識に基づかない、おまじない同然の治療をしましたから、鶏の羽で横痃(リンパ腺が炎症してできる腫れ物)を突いて膿を出せとか、風呂に入っちゃいけない、とか、恐ろしいことばかり。

 

コロナ・パンデミックもあちこちで醜い争いや軋轢が生じましたが、この当時のパンデミックに巻き込まれて無くて良かったなー、なんて思いながら聞いていました。

 

 

1885年・モントリオールで天然痘蔓延

シカゴからモントリオールに到着した列車の機関士が天然痘の症状を発症し、市内の病院に収容されたのを発端に発生した天然痘の流行が、モントリオールの多くの人々の命を奪いました。

 

1976年に英国でエドワード・ジェナーがワクチンを開発して9年後ですから、英国でもカナダでも天然痘対策は可能だったのに、なぜモントリオールではこんなに酷いことになったのか。

その背景にはフランス語系住民の英語系住民に対する不信感があったと言われます。

 

ワクチンの効能に関する理解を得られなかったということもあるでしょうが、社会の上層部を占める英語系住民と、貧困層のフランス語系住民という不平等な社会構造にあって、英国で開発された技術であり英語系の上層部が推奨するワクチンはフランコフォン住民にはすんなり信用できない代物だったようです。

 

様々な手段でワクチン接種を広めようとするも、なかなかうまくいかず、そうこうするうちに死者の数はどんどん増えていきます。

ついに強制接種を打ち出した市に対し、ライオットまで発生したそうです。

 

By the end of the year, smallpox had exhausted the supply of unvaccinated hosts and case numbers declined. The disease had taken nearly 6,000 lives in Quebec, including more than 3,000 in Montreal, and had disfigured another 13,000.

 

the supply of unvaccinated hostsというのは、ワクチン未摂取で今も生きている人間(だから今後感染してウィルスの宿主になれる)ということです。

致死率の高い天然痘ですから、この年の終わりまでにはワクチン未接種で感染しないまま生きている人がいなくなったということでしょう。

 

被害者の9割がフランコフォン、特に子供たちだったそうです。

 

ウィルスは誰彼構わず人間の体を宿主とするわけですが、実際のパンデミックは決して平等ではない社会の構造を浮き彫りにしますね。

www.thecanadianencyclopedia.ca

45代目の米大統領が感染した時でしたっけ、ネット上でEdgar Allan Poe  のファンタジー、The Masque of the Red Deathが多くの人々によってレファレンスされましたね。

 

それだけ当時は恐怖感や怒りが蔓延していたのか。

poemuseum.org

 

ワクチン開発技術は発達したけど、未知の不安への対応はあまり進歩していない人類


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