イギリスの新聞、The Guardianのウェブサイトでこんな記事を目にしました。
「牛肉を食べるのを諦めることは自動車を諦めるよりももっとカーボン・フットプリントを減少させることにつながる。」
英語を日本語に訳すのってなかなかうまくいかないですね。翻訳を仕事にしている人ってすごいなと思います。
カーボン・フットプリントは日本語にもなってるようですね。
前置きはさておき、記事の内容です。
翻訳は全く持って専門外ですので、逐一記事を訳すなんてことはせず、大まかに要約だけしてみます。
まず冒頭で、牛肉は他の肉(鶏、豚、ヤギ、などなど)に比べて28倍の水を必要とし、5倍もの温室ガスを排出している、など、牛肉が悪者だという趣旨を明らかにしてあります。ジャガイモや穀類などの生産に必要とされる水の量に比べると、1カロリー生産するために160倍、温室ガスは11倍だそうで。
地球温暖化につながる温室ガス排出の15%は農業によるもので、その半分は家畜農業。
また、家畜を飼育するために大量の穀物や水を使うため、人間が食べるための農産物が耕作できないという問題があります。
家畜のなかでも、肉牛飼育のために必要とされる土地、水、ナイトロジェン肥料が、鶏肉、豚肉、鶏卵用の鶏、乳牛など肉牛以外の家畜のために必要とされるそれらをはるかに上回ること、大量に食べさせる餌のほんの一部しか身にならないという効率の悪さが、大量の温室ガス排出につながっていると。
また、環境問題の観点からはグラス・フェッドでも穀物でも、それほど違いはないようです。
英米複数の研究結果が、地球温暖化を促す温室ガス排出料を減らしたければ、牛肉の消費を減らすこと、これに尽きる、ということを示していると研究者たちは言っています。
オックスフォード大学の研究者の発表では、肉食を常とする人の食事は、生産過程で排出される温室ガスの量が、肉を食べない人々の食事の生産過程で排出される温室ガスの量の約2倍になるということです。
こういった研究結果は、研究の仕方からきちんと説明してくれている学術レポートをきっちり読まないと、本当のところはわからない部分もあるんですが、まあ、牛肉を食べるために注ぎ込まれる地球資源がものすごい、という大まかな部分は間違い無いですよね。
ただ、石油燃料をガンガン消費する自動車に依存する社会から脱する必要はあるわけで、「ヴィーガンの食事をしてるから、車の運転は気にしなくてもいいのよ」というのはちょっと違うと思います。
こんな記事も見つけました。
Cam Fentonという方が書いた記事なのですが、この方は自身もヴィーガンで、環境問題アクティビストなのですが、環境問題がらみのデモなどで、ヴィーガンになることが地球を救うのだ!みたいな極端な主張をする人々を見ていて、それはちょっと違うよ、といっているのです。
私も、肉食のための生産活動などが環境に与える悪影響がひどいこと、これに関して色んなことを知るうちにヴィーガンになるに至ったわけです。でも「実際はあんた一人がヴィーガンになったからって地球温暖化は止まらないよ」というのは、まあもっともというか、個人の食の選択はあくまで個人的なものであって、Facebookで仲間をたくさん集めたところで、それで地球が救われるという主張は、短絡的なわけですよね。
この記事を読んだ感想は、全般的には納得できるというか、個人がコツコツと家で使わない部屋の電気を消して歩くことで地球を救うことはできないから、システムを作り変える必要があるというのと同様に、個人が肉を辞めたことで地球が救われるということはない、と思います。
私が注目したのは、この記事に対する反応で、コメント欄を見ると、怒ってる人、この記事の論点を否定してる人、目白押しという点です。
反論してる人のコメントで何度か、カウスピラシー(Cowspiracy)でこう言ってた、この映画を見るべし!という意見も見かけました。
環境問題を幅広い層に理解させた映画では、不都合な真実(Inconvenient Truth)がありますが、カウスピラシーもそれと同じような地位を確立したんでしょうね。
でも、両方とも、素晴らしいドキュメンタリーではありますが、事実の説明の部分で若干科学的な間違いや勘違いが含まれています。
カウスピラシーの場合は、CO2とメタンガスを混同しているという部分です。
その勘違いの上での数値で、肉食が石油燃料による温室ガス排出を上回るカーボンフットプリントを残している、という結論に至るわけですが、どちらが上だろうと、私としてはどっちでもいいじゃないか、と思うんですよね。
温室ガスのみに注目して、もしも石油燃料の方が肉食のための家畜飼育よりもやはりうんと排出量が上だから、肉食辞めたって意味がないんだ、と思うのなら、それはちょっと短絡的。肉食用の家畜飼育のために使われる農地の面積、そこで人間のために作物を植えることができればどれだけの人々が飢えをしのげるのか、それ以外にも水資源、環境汚染、動物のウェルフェア、食べてる人間の健康、いろんなことを考えれば、やはり肉食を減らす方が断然いいわけですから。
いろんな研究発表が日々なされていますが、その発表自体がちょっとした間違いを含むこともあり得るわけですし、その解釈(メディアや受取手がわ)がちょっと勘違いを含んでることもあるわけです。
勘違いの度合いにもよりますが、上記の二つのドキュメンタリーや、各種研究発表などは、その都度、人々の関心を得、問題についてもっとたくさんの人々が知るチャンスを与えてくれたわけだから、とても有意義なものだと思います。
メディアだけではなく、ネット上でいろんな議論をすることができるのも、有意義なことだと私は思うのです。
先日ご紹介した、100歳の元心臓外科医師の言葉にもありますが、「食べることに関して、人々はとても敏感です」。
ヴィーガンになった私が強く思うのは、まず、ヴィーガンになった私をいきなり攻めるとか笑うとか、そういう態度を示す人が(あまりいませんが稀に遭遇します)いなくなってほしいなあ、ということ。次に、ヴィーガンの私が生きやすい環境であってほしいなあ(外食とか)そして、一緒にヴィーガンの食事をオープンマインドで食べておいしさを分かち合える人が増えたらなあ、と。
そして、もし私がヴィーガンなことに興味を持ってくれたら、これもオープンマインドで質問してもらって、いろんなことを前向きに話し合えたら嬉しいな、ということです。
啓蒙運動とかしている人たちにとっては、弱腰でやる気のない態度に見えるかもしれませんが、じわじわと攻める方が有効だと信じているのです。
北米はあくまで個人主義ですから、実際はあんまり責められることはないんですけどね。